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当院の特徴
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院長プロフィール
院長プロフィール
医学博士 木下昇平
昭和30年4月6日生まれ
略歴
久留米大学医学部卒業
聖マリア病院新生児科、小児科勤務
久留米大学病院小児科元講師
済生会八幡病院小児科医長
県立柳川病院小児科部長
米国バージニア大学医学部留学(1987-1989年)
資格
小児科専門医
概要:本会は1896年に発足し、1985年より本会認定医制度を施行した。これを元に2002年より小児科専門医制度を新たに施行した。小児科専門医は小児保健を包括する小児医療に関してすぐれた医師を育成することにより、小児医療の水準向上進歩発展を図り、小児の健康の増進および福祉の充実に寄与することを目的とし、所定の卒後研修を修了した会員に対し、試験を実施し資格を認めている。資格は5年ごとに審査のうえ更新される。
所属
1) 日本小児科学会
2) 日本小児科外来学会
3) 日本小児科アレルギー学会
4) 日本小児科感染症学会
5) 日本小児耳鼻科学会
著書
「お母さんに伝えたい ホームケアガイド」
昭和30年4月6日生まれ
略歴
久留米大学医学部卒業
聖マリア病院新生児科、小児科勤務
久留米大学病院小児科元講師
済生会八幡病院小児科医長
県立柳川病院小児科部長
米国バージニア大学医学部留学(1987-1989年)
資格
小児科専門医
概要:本会は1896年に発足し、1985年より本会認定医制度を施行した。これを元に2002年より小児科専門医制度を新たに施行した。小児科専門医は小児保健を包括する小児医療に関してすぐれた医師を育成することにより、小児医療の水準向上進歩発展を図り、小児の健康の増進および福祉の充実に寄与することを目的とし、所定の卒後研修を修了した会員に対し、試験を実施し資格を認めている。資格は5年ごとに審査のうえ更新される。
所属
1) 日本小児科学会
2) 日本小児科外来学会
3) 日本小児科アレルギー学会
4) 日本小児科感染症学会
5) 日本小児耳鼻科学会
著書
「お母さんに伝えたい ホームケアガイド」
1994年の初版から16年、おかげさまでこれまでに11万部をご利用いただきベストセラーとなりました。途中、2003年に改訂第2版を作成、それから7年後の2010年に改訂第3版、そして2013年に改訂第4版としてフルモデルチェンジしました。 当院長も作成メンバーの1人です。 全項目チックし直し、予防接種も最も新しい情報となっています。初めてのお子さんをもたれるお母さんに是非読んで頂きたいです。院内でも販売しています。
http://www.ishiyaku.co.jp/search/details.aspx?bookcode=235740
「お母さんに伝えたい 子どものくすり 安心ガイド」 1997年
趣味
なんといっても音楽鑑賞です。クラシック、ジャズ、イージーリスニング、ワールド、ポップスなんでも好きです。とくに好きなのは、クラシックです。好きな作曲家はと聞かれたらベートーベン、モーツアルト、シューベルト、ショパン、ブラームス、バッハ、チャイコフスキー、ブルックナーです。好きなピアニストは、ピリス(モーツアルト)、ツインマーマン(ショパン)、グルダ(モーツアルト、ベートーベン)です。ヴァイオリニストはオーギュスタン・デュメイ(モーツアルト)、ギドン・クレーメル(バッハ)、ヒラリー・ハーン(バッハ)、レイチェル・ポジャー(バッハ)です。バッハの無伴奏チェロはカザルスから最近、マリア・クリーゲルの演奏が気に入っています。交響曲は、ブルックナーやモーツアルトをよく聴きます。ブルックナーは、長ったらしい曲ぞろいです。もっとも華やかでダイナミックなカラヤン、ダイナミックかつ繊細なギュンター・ヴァント、繊細でバランスが良いブロムシュテットが好きです。特にブルックナー4番はヴァント、7番はカラヤン、ヴァント指揮、ブロムシュテットが好きです。モーツアルトは、なんでも好きですね。ピアノソナタは、ネブラーかピリス、ピアノコンチェルトはグルダ、交響曲はドレスデン交響曲団が素晴らしいと思います。ジャズは。テリー・ラングやラース・ヤンソンなどの北欧系ジャズです。キースジャレットやビルエヴァンスも好きです。日本では、ドリカム、小田和正さん、オフコース、チューリップが好きです。
楽器は小学生の頃から家にギターがありましたので、ある程度弾けます。アコースティックギターを持っていて、押尾コータローに挑戦中です。
スポーツは50歳からテニスをしています。スクールに通って週2-3回ほど汗をかいています。楽しいですよ。もうゴルフはしなくなりました。
大学を卒業してから開業まで
卒業後はまよわず小児科を選びました。なぜかといいますと、講義の時の小児科の教授の授業が好きで、その教授の人柄や先進的な考え方に魅力を感じていました。小児科は大変だぞということも知っていましたが、子どもも好きでしたし、小児科を選びました。
さて、小児科医となり1年目は病棟係といって、白血病や慢性疾患、心臓病や特別な病気で入院してくる子どもたちの主治医になりました。主治医といっても名ばかりで、2年上のシニアドクターと呼ばれる人たちの指導を受けながら治療にあたります。白血病の患者さんはそのころ死亡率が高く、私の患者さんも何人か亡くなって行きました(その頃治せなかった子どもたちが、今の医療でずいぶん助かるようになりました)。本当に自分の未熟さと、厳しい治療に耐えながらも亡くなっていった子どもたちを診ていると、涙が出て止まらないくらい、悲しい思いをしました。もちろん私以上にご両親の悲しみは計り知れない、想像を絶するものがあります。
その後、いろいろな病院を研修しながら次第に医者として成長してゆくわけですが、外国に留学したいという願望が次第に強くなり、教授や先輩の先生のおかげで、なんとか、アメリカ留学が実現しました。私は、東海岸のワシントンの南にあるバージニアというところにゆきました。アメリカは、自由で、ざっくばらんで、とてもくらしやすいところでした。なんとか、食べていけるだけのお給料をもらいながら研究を続けました。貧乏でしたが、生活は豊かでした。アメリカ(大都市は別として)は、車は動けばいい、洋服は寒くなければいいといった感じで、日本のように見栄をあまりきにしなくてもよいところでした。0歳と2歳の子どもも2年間そこで暮らしました。子どもたちは、まったく記憶にないようですが、車で2日間かけてフロリダのディズニーランドにも行きました。2年間もすむと、皆さん英語がぺらぺらになるのではないかと思われますが、子どもと違って大人ではそうはいきません。まあなんとか、日常英会話では苦労しなくなりましたが、論議となるとちんぷんかんぷんですね。でもアメリカでの研究成果はかなりの手応えがあり、2年間で4つ程の英語の論文ができました。
その後、また大学にもどり、しばらくしてその他の病院の小児科部長をつづけていましたが、平成3年ごろ急に開業することを決意しました。家内もびっくりしていましたが、自分の理想の城とポリシーをもって第一線で子どもたちを診たいという大きな夢がふくらみました。そして、平成4年に「きのした小児科」は誕生しました。
私の恩師である元教授の山下文雄先生の言葉を今も思い出します。「白衣を着なくても医者だと分かるような立派な人格を備えなさい」という言葉です。まだ、今の私には無理かも知れませんが、頑張りたいと思います。
http://www.ishiyaku.co.jp/search/details.aspx?bookcode=235740
「お母さんに伝えたい 子どものくすり 安心ガイド」 1997年
趣味
なんといっても音楽鑑賞です。クラシック、ジャズ、イージーリスニング、ワールド、ポップスなんでも好きです。とくに好きなのは、クラシックです。好きな作曲家はと聞かれたらベートーベン、モーツアルト、シューベルト、ショパン、ブラームス、バッハ、チャイコフスキー、ブルックナーです。好きなピアニストは、ピリス(モーツアルト)、ツインマーマン(ショパン)、グルダ(モーツアルト、ベートーベン)です。ヴァイオリニストはオーギュスタン・デュメイ(モーツアルト)、ギドン・クレーメル(バッハ)、ヒラリー・ハーン(バッハ)、レイチェル・ポジャー(バッハ)です。バッハの無伴奏チェロはカザルスから最近、マリア・クリーゲルの演奏が気に入っています。交響曲は、ブルックナーやモーツアルトをよく聴きます。ブルックナーは、長ったらしい曲ぞろいです。もっとも華やかでダイナミックなカラヤン、ダイナミックかつ繊細なギュンター・ヴァント、繊細でバランスが良いブロムシュテットが好きです。特にブルックナー4番はヴァント、7番はカラヤン、ヴァント指揮、ブロムシュテットが好きです。モーツアルトは、なんでも好きですね。ピアノソナタは、ネブラーかピリス、ピアノコンチェルトはグルダ、交響曲はドレスデン交響曲団が素晴らしいと思います。ジャズは。テリー・ラングやラース・ヤンソンなどの北欧系ジャズです。キースジャレットやビルエヴァンスも好きです。日本では、ドリカム、小田和正さん、オフコース、チューリップが好きです。
楽器は小学生の頃から家にギターがありましたので、ある程度弾けます。アコースティックギターを持っていて、押尾コータローに挑戦中です。
スポーツは50歳からテニスをしています。スクールに通って週2-3回ほど汗をかいています。楽しいですよ。もうゴルフはしなくなりました。
大学を卒業してから開業まで
卒業後はまよわず小児科を選びました。なぜかといいますと、講義の時の小児科の教授の授業が好きで、その教授の人柄や先進的な考え方に魅力を感じていました。小児科は大変だぞということも知っていましたが、子どもも好きでしたし、小児科を選びました。
さて、小児科医となり1年目は病棟係といって、白血病や慢性疾患、心臓病や特別な病気で入院してくる子どもたちの主治医になりました。主治医といっても名ばかりで、2年上のシニアドクターと呼ばれる人たちの指導を受けながら治療にあたります。白血病の患者さんはそのころ死亡率が高く、私の患者さんも何人か亡くなって行きました(その頃治せなかった子どもたちが、今の医療でずいぶん助かるようになりました)。本当に自分の未熟さと、厳しい治療に耐えながらも亡くなっていった子どもたちを診ていると、涙が出て止まらないくらい、悲しい思いをしました。もちろん私以上にご両親の悲しみは計り知れない、想像を絶するものがあります。
その後、いろいろな病院を研修しながら次第に医者として成長してゆくわけですが、外国に留学したいという願望が次第に強くなり、教授や先輩の先生のおかげで、なんとか、アメリカ留学が実現しました。私は、東海岸のワシントンの南にあるバージニアというところにゆきました。アメリカは、自由で、ざっくばらんで、とてもくらしやすいところでした。なんとか、食べていけるだけのお給料をもらいながら研究を続けました。貧乏でしたが、生活は豊かでした。アメリカ(大都市は別として)は、車は動けばいい、洋服は寒くなければいいといった感じで、日本のように見栄をあまりきにしなくてもよいところでした。0歳と2歳の子どもも2年間そこで暮らしました。子どもたちは、まったく記憶にないようですが、車で2日間かけてフロリダのディズニーランドにも行きました。2年間もすむと、皆さん英語がぺらぺらになるのではないかと思われますが、子どもと違って大人ではそうはいきません。まあなんとか、日常英会話では苦労しなくなりましたが、論議となるとちんぷんかんぷんですね。でもアメリカでの研究成果はかなりの手応えがあり、2年間で4つ程の英語の論文ができました。
その後、また大学にもどり、しばらくしてその他の病院の小児科部長をつづけていましたが、平成3年ごろ急に開業することを決意しました。家内もびっくりしていましたが、自分の理想の城とポリシーをもって第一線で子どもたちを診たいという大きな夢がふくらみました。そして、平成4年に「きのした小児科」は誕生しました。
私の恩師である元教授の山下文雄先生の言葉を今も思い出します。「白衣を着なくても医者だと分かるような立派な人格を備えなさい」という言葉です。まだ、今の私には無理かも知れませんが、頑張りたいと思います。
院長